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東京高等裁判所 昭和40年(う)377号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

検察官の論旨は、原判決は、被告人が昭和三九年一月二五日午前一〇時一八分頃、一方通行道路である鎌倉市台一番地戸部橋際を入口とし、同市岡本九七六番地宮地ガソリンスタンド前を出口とする通称山王通りと呼ばれる約八〇〇米の区間(以下本件道路と称する。)内の同市岡本九三七番地付近道路において、出口方向から入口方向に向つて普通乗用自動車を運転進行した事実を認めながら、公安委員会が一方通行の処分を行うには「その一定の方向にする車両の進行を禁止する区間の入口及び区間内の必要な地点における路端」に規制標識を設置するを要するところ、被告人は一方通行区間中途にある分岐点、すなわち同市北の谷方面に通じ、同市岡本八九二番地浅沼商店角において本件道路とほぼ直角に交差する道路より、本件道路に進入したものであり、右分岐点には本件道路が一方通行となつていること或は指定方向外進行が禁止されていることを示す標識は設置されていなかつたのであるから、区間内の必要な地点における道路標識の設置をもつてする処分の様式を欠き、この分岐点から左折進入して来る車に対しては有効な一方通行の処分はなされていなかつたと解すべきであり、被告人の所為は犯罪を構成しないとして被告人に対し無罪の言い渡しをしたが、これは、法令の解釈において重大な誤りを犯し、適用すべき法令を適用しなかつた誤りがあり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。なる程被告人が本件道路に進入した前示分岐点(以下本件分岐点と称する。)には、本件道路が一方通行となつていること或いは指定方向外進行が禁止されていることを示す道路標識が設置されていなかつたことは原判示のとおりであるが、本件分岐点に道路標識がなかつたことを根拠として、同所から本件道路に進入する車両に対する関係において一方通行の処分そのものの効力を否定しさることはできない。けだし、ある区間について一方通行の処分をしたことは、当然中間分岐点から進入する車両に対しても反対方向への進行を禁止しているものと解すべきであるからである。もつとも、「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」(以下標識令と略称する)には、一方通行の処分を行なうにあたつて道路標識を設置すべき場所としては、区間の入口のほかに「区間内の必要な地点」があげられているが、右の必要性の有無は一方通行の処分を行う当該公安委員会が、分岐道路の幅員や通過車両数等を勘案したうえ判断すべき事項であつて、これを裁判所が事後において判断して一方通行の処分の効力をうんぬんするのは誤つた見解といわざるをえない。原判決は本件分岐点を「区間内必要な地点」の一つと見るべきであるとするが、右の分岐点において本件道路と交差する道路は、幅員三・五米の狭隘なもので、公安委員会は右分岐点に道路標識設置の必要性を認めなかつたものであつて、これを目して不当とすることはできない。要するに本件道路は一方通行の処分が有効になされており、道路標識の設置されていなかつた本件分岐点から進入する車両に対しても右処分は有効に作用すると解するのが正当である。しかして、被告人が本件道路が一方通行の処分のされている道路であることを知つていたことは証拠上明白である。原判決も被告人に右認識のあつたことを認めながら、なお故意の成立には道路標識の存在についての認識が必要であるかの如き口吻をもらしているのは理解に苦しむところであり、被告人が一方通行の処分がされていることを認識しておれば充分であつて、道路標識の存在についての認識の必要はないと解すべきである。さすれば被告人が本件につき有罪であることは明白であつて、これを無罪とした原判決は到底破棄を免れないというのである。

よつて按ずるに、一件記録によれば、昭和三五年一二月二〇日神奈川県公安委員会が告示第二六号をもつて、本件道路を一方通行の道路とすることを指定したこと、当時、入口である戸部橋際本件道路の入口方向から向つて左側に昭和三五年一二月一七日総理府・建設省令第三号の標識令別表第一「一方通行」(323)号所定の規制標識が、また出口にあたる宮地ガソリンスタンド角の出口方向に向つて右側路端に同表「車両通行止」(302)号所定の規制標識が設置され、それらはそれぞれ昭和三八年三月二九日総理府・建設省令第一号の標識令の一部を改正する命令附則第二項により、同令の「一方通行」(326)号の規制標識及び「車両通行止」(302)号の規制標識とされ、いずれも本件事件当時も存在してしたこと、すなわち、本件事件当時本件道路の出入口にはそれぞれ適式な道路標識が設置されていたことが明らかである。

ところで、道路交通法第七条、第九条、同法施行令第七条によれば、道路交通法により公安委員会が行う車両の通行の禁止、制限は、総理府令・建設省令(すなわち標識令)に定められた道路標識を設置して行わなければならない旨規定しているから、公安委員会が行う道路の通行の禁止、制限は、その内容を標示する道路標識によつてしなければ法的効力を生じないものと解すべきである(昭和三七年四月二〇日最高裁判所第二小法廷判決、最高裁判所刑事判例集第一六巻四号四二七頁)。そして、標識令にいわゆる「一方通行」とは当該道路において指定方向に逆行する通行を禁止する場合の通行方式をいうものであるから、道路の一方通行を行うには標識令に従い「一方通行にする区間の前面及び区間内の必要な地点における路端」に「一方通行」を標示する規制標識(326)号を、またその道路の出口には「道路の中央又は左側の路端」に「車両通行止」(302)号を標示する規制標識を設置することを要するものといわなければならない。すなわち、道路の一方通行を行うには、その入口及び出口に右のような規制標識を設置するほか、区間内の必要な地点にも一方通行を標示する規制標識を設置しなければならないことが明らかである。しかして、一方通行の道路の途中に分岐点があつて、その地点から一方通行の道路へ車両の進入が予測される場合にはその分岐点は右にいう必要な地点に該ると解すべきことは勿論である。けだし、かかる分岐点は、原判決もいうとおり、そこから進入する車両が入口に向う場合は出口に当り、出口に向う場合は入口に当る関係になること言うまでもないからである。然るに本件道路は前述のとおり、その入口と出口には適式な道路標識が設置されていたのであるが、原審及び当審における検証の結果に徴すれば、自動車の進入することが当然予想される本件分岐点には、本件事件当時何らの規制標識が設置されていなかつたことが明らかである。さすれば、本件事件当時には、本件道路の出口から入口方面に向つて車両が通行することは有効に禁止されてはいたけれども、本件分岐点には公安委員会による有効な通行の禁止、制限の処分はなされていなかつたことになるから、本件分岐点から本件道路に進入する車両に対しては入口方向に至る通行を禁止する効力は生じていなかつたものと解するのが相当である。されば本件道路が一方通行の道路であることを理由に、本件分岐点から進入する者を処罰することは許されないものと解すべきである。

所論は「区間内の必要な地点」なりや否やの認定は、一方通行の処分をした当該公安委員会の権限であり、本件分岐点に規制標識を設置しなかつたのは公安委員会が必要な地点と認めなかつたからにほかならず、これを裁判所が必要地点なりとし、これに道路標識を設置しなかつたことからして、公安委員会の一方通行の処分の効力を否定するのは許されないと主張するけれども、公安委員会がする通行の禁止、制限の処分は、前述のとおり所定の方式に従つた規制標識を設置して行わなければならないのであるから、その標識の設置が適式なりや否やは、具体的事件の審理に際して、裁判所の判断すべき事項に属することは勿論であり、本件の如き一方通行の処分のなされた道路にあつては、その出入口については勿論、区間内の必要な地点にも適式な標識が設置されているかどうか、ひいてはその処分の効力如何について審理判断を加えるべきことは当然である。もつとも、右区間内の必要な地点に道路標識が設置されていなかつた場合でも必ずしも一方通行の処分全体が効力を生じないわけではなく、本件の如く出入口に所定の標識が設置されている以上、この両端からの通行は適法に規制されていると解すべきことは勿論であつて、本件分岐点に規制標識のないことによつて、本件道路全体の通行禁止処分を無効ならしめるものでないことはいうまでもない。ただ、前述のとおり本件分岐点に標識を欠くことによつて、同所から本件道路へ進入する車両に対しては一方通行の法的規制の効力が及ばないのみである。

なお、所論は、本件分岐点より北の谷方面に通ずる道路は幅員三・五米の狭隘なもので、特に区間内の必要な地点とは認められないとするかの如くであるが、当審における証人笠鉄三の証言及び被告人本人の供述によれば、これまでにも被告人やその弟らは車を運転して屡々本件分岐点から本件道路に進入していることが窺われ、これを当審における検証の結果に照らしても、本件分岐点が標識設置の必要性のない地点とは到底認められないのみならず、現に本件発生後、右分岐点にも指定方向外進行禁止の道路標識が設置されたのであつて、この一事に徴しても本来必要のない地点であつたとするのは当らないこと明らかである。

凡そ道路標識は、それが警戒標識たると、指示標識たると、或いは規制標識たるとその種類の如何を問わず、あくまで厳正、適確でなければならないことは当然であるが、特に道路の通行を禁止し、または制限するための規制標識は、これを設置する趣旨、目的に鑑み、その様式は簡潔、明瞭であることはもとより、その設置場所も常に適正、且つ十分であつて余すところのないことが必要であり、かりそめにもこれに従つて行動する者に疑義を生じ、或いは不知の間にも違反を犯していることのないように万全の配慮と措置が要求されるのであつて、換言すれば、その標識に従つて行動さえすれば絶対に違反を犯すことがないような思いやりのある処置の採られることが望ましいことであり、かくしてこそはじめてよく道路における危険を防止し、交通の安全と円滑を図ることができ、道路交通法本来の目的を達成し得るものといわなければならない。

もつとも、当審における証人大野正彦、同笠鉄三の各証言、原審における被告人の供述によれば、本件事件当時、被告人が本件道路が一方通行であることを知つていたことは、これを窺うことができるけれども、すでに説明したとおり、本件分岐点においては車両の通行規制が有効に行われていなかつた以上、被告人に右のような認識があつたかどうか或いは右の認識を欠いた点に過失があつたかどうかは本件違反の成否には何ら影響するところがない。

以上を要するに、被告人には本件道路交通法違反の罪は成立せず、これと同旨に出でた原判決は正当であつて、検察官の論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。(松本勝夫 海部安昌 石渡吉夫)

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